R.シュトラウスの「アルプス交響曲」は近年の研究で、今まで多くの聴衆・専門家が見逃していた(聴き逃して
いた?)自然の脅威と人間の哀れみを描いた作品であることが明らかにされた。これはR.シュト
ラウスの研究家キッソ・ウーオ氏が発表した説。

 本当は怖い:アルプス交響曲 である。

 発端は当時ベルリン留学中であった山田耕筰氏にあてた手紙が発見されことによる。その手紙には「アルプス
交響曲」の内容が書かれていたのである。それはパロディスト、R.シュトラウスの面目躍如たる「アルプス交響
曲」の知られざる真実の姿が綴られていた。

  「アルプス交響曲」の、第13節<頂上にて>でオーボエが美しいメロディーを奏でて山頂の雰囲気を伝えるが、
なぜ物悲しい音色のオーボエが選ばれたのだろうか?その直後の金管による大自然の描写と相まって大自然の
圧倒的なパワーに屈する人間の姿が描かれていたのである。

 第19節<雷雨と嵐、下山>では大自然の脅威を前に逃げるしかない人間の無力さを表し、嵐の後、第20節の
<日没>を迎える。ベートーヴェンの田園交響曲のように感謝の踊りを披露することはない。それもそのはず登山
者は急いで下山したため道に迷ったのである。

 第21節<終末>の冒頭、オルガンが奏でるメロディーは人間の敗北宣言であり、以後は道に迷い、山をさまよい、
衰弱する様子が描かれ、最後の最後第22節<夜>で主題が弱々しく表れ夜にかき消されてゆく

 ・・・・これは明らかに「死」である!

 山田耕筰氏へ宛てられた手紙から明らかになったアルプス交響曲の真の姿は 

 <登山中、嵐に遭って遭難し、山をさまよい力尽き屍となる>

 
山岳遭難を描いていたのである!!

 
こう想って聴くと、それらしく聴こえてくるのが音楽のおもしろさである。



 キッソ・ウーオを逆から読むとオーウソッキ(大嘘つき)となります。これは法螺話である。


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